東京地方裁判所 平成4年(ワ)10814号 判決 1993年5月13日
主文
1 被告は、原告に対し、二七〇六万四八〇〇円及びこれに対する平成四年一〇月一日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 この判決は仮に執行することができる。
理由
第一 原告の請求
主文と同旨の判決及び仮執行の宣言を求める。
第二 事案の概要
一 争いのない事実等
1 訴外アーバネット株式会社(以下「訴外アーバネット」という。)は、平成元年三月一七日に東京都渋谷区道玄坂一丁目一九番地八所在の鉄骨・鉄筋コンクリート造陸屋根地下二階付一〇階建事務所・店舗(以下「本件全体ビル」という。)を建築してその所有権を取得し、同月三一日にその所有権保存登記をしたが、これと同時に、本件全体ビルを訴外日本都市デベロップ株式会社(以下「訴外日本都市」という。)に売り渡して、訴外日本都市のためにその旨の所有権移転登記をすると同時に、訴外日本都市から本件全体ビルを賃借する契約を締結した。
2 原告は、平成元年六月一六日、訴外アーバネットとの間において、本件全体ビルのうちの六階ないし八階床面積合計一五九・八一平方メートル(以下「本件賃貸部分」という。)につき、貸主を訴外アーバネット、借主を原告、借主が貸主に預託すべき保証金の額を三三八三万一〇〇〇円とし、賃貸借契約が終了して、借主が貸主に本件賃貸部分を明け渡したときは、貸主は直ちに借主に対して預託を受けた保証金から二〇パーセントの償却費を控除した残額を返還するとの定めの賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)を締結して、その引き渡しを受けるとともに、訴外アーバネットに対して、約定の保証金三三八三万一〇〇〇円を預託した。
そして、訴外アーバネットは、平成二年二月一五日に至つて、本件全体ビルを買い戻して、訴外日本都市のためにした前記所有権移転登記を錯誤を原因として抹消した。
3 ところが、訴外アーバネットは、平成二年三月二七日に本件全体ビルの所有権全部を訴外中里三男外三八名(以下「持分権者ら」という。)に持分各五〇分の一ないし五あて売り渡して、同月三〇日に各持分権者らのために所有権一部移転登記をし、また、持分権者ら全員は、それぞれ同月二七日に本件全体ビルの各持分を被告に信託譲渡をして、同月三〇日に被告のために各持分移転登記をした(なお、持分権者らの一部には、その後の移動がある。)。
4 被告は、持分権者ら全員から本件全体ビルの持分の信託譲渡を受けたのと同日の平成二年三月二七日、訴外芙蓉総合リース株式会社との間において、本件全体ビルについて、被告を貸主、訴外芙蓉総合リース株式会社を借主とし、使用目的を転貸して使用することとして、賃貸借契約を締結し、さらに、右借主の訴外芙蓉総合リース株式会社は、右同日、訴外アーバネットとの間において、本件全体ビルについて、訴外芙蓉総合リース株式会社を貸主、訴外アーバネットを借主とし、使用目的を転貸して使用することとして、賃貸借契約を締結した。
5 ところが、訴外アーバネットは平成三年九月一二日に破産宣告を受け、また、本件賃貸借契約は平成四年九月三〇日に終了して、原告は、右同日限り本件賃貸部分を明け渡した。
二 争点及びこれらについての当事者の主張
原告の本訴請求は、前記のような事実関係の下において、被告が本件賃貸借契約の貸主たる地位を承継したものであるとして、被告に対して、預託した保証金のうち償却費を控除した残額の返還を求めるものであり、被告は、被告が本件賃貸借契約の貸主たる地位を承継することはないとして、これを争うものであつて、これについての当事者の主張の要旨は、次のとおりである。
1 原告
訴外日本都市と訴外アーバネットとの間の本件全体ビルの賃貸借契約は、訴外アーバネットが本件全体ビルを買い戻したことによつて、混同によつて消滅する。
そして、本件賃貸借契約の貸主たる地位は、訴外アーバネットが持分権者らに、持分権者らが被告に、それぞれ本件全体ビルを売買し又は信託譲渡したことによつて、当然に持分権者らを経て被告に承継されたものであるから、被告は、本件賃貸借契約の定めに従つて、原告に対して、前記保証金を返還すべき義務がある。
2 被告
原告は、本件全体ビルの所有者であつた訴外日本都市から本件賃貸部分を借り受けたものではなく、訴外日本都市から賃借していた訴外アーバネットから転借を受けたものであるから、その後たまたま訴外アーバネットが本件全体ビルを買い戻したからといつて、訴外日本都市と訴外アーバネットとの間の本件全体ビルの賃貸借契約が混同によつて消滅することはない。
そして、前記のような事実関係によれば、訴外アーバネットと持分権者ら及び持分権者らと被告は、それぞれ本件賃貸借契約の貸主たる地位を承継することなく、原告への貸主は訴外アーバネットとしたままとすることを合意して、本件全体ビルの持分の売買又は信託譲渡をしたものと解すべきであるから、被告が本件賃貸借契約における貸主たる地位を承継したものというべき理由はない。
第三 争点に対する判断
一 先ず、甲第一一号証、乙第三号証ないし第七号証、乙第一〇号証の一、二、乙第一三号証の一ないし三及び弁論の趣旨によれば、訴外アーバネットと持分権者らとの間及び持分権者らと被告との間において行われた本件全体ビルの持分の売買又は信託譲渡、被告と訴外芙蓉総合リース株式会社との間及び訴外芙蓉総合リース株式会社との間の本件全体ビルについての転貸を使用目的とした各賃貸借契約は、我が国において昭和六二年頃から行われるようになつたいわゆる「不動産小口化商品」のひとつとしての取引形態であつて、これによれば、不動産会社は、信託銀行等と販売提携して、その所有するビル等の細分化された所有権持分を多数の投資家に販売し、右持分を買い受けた投資家は、これを信託銀行等に信託譲渡して、当該ビル等の管理、運営、処分等を委ねるものであり、信託を受けた信託銀行等は、通常、当該ビル等を一括して当該不動産会社に賃貸するなどして、テナントの募集、ビル等の管理等を行わせて、賃料等の収益を投資家に配分するほか、一定期間の経過後においては当該ビル等を売却したうえで、その収益を投資額に応じて投資家に配分するものであり、本件全体ビル又はその持分について行われた前記のような売買、信託譲渡及び転貸を使用目的とした賃貸借契約は、いずれも右のような取引形態の一環として右のような目的の下に行われたものであることを認めることができる。
そして、本件においては、目的不動産とされた本件全体ビルは、原告が不動産会社からその一部を賃借して既に引渡しを受けており、テナントが未入居のものではなかつたこと、その後、当該不動産会社が破産宣告を受けるに至つたことによつて、本件賃貸借契約における貸主たる地位の承継の有無という問題が生じたものであるということができる。
二 そこで、右の争点について検討すると、先ず、原告は、本件全体ビルの賃借人たる訴外アーバネットから一部の転借を受けたものであつて、所有者から賃借したものではないのであるから、この場合において、所有者たる賃貸人がその後目的不動産を他に譲渡したとしても、それによつて原告に対する賃貸人たる地位に承継や異動の生じる余地がないことはもとより当然であるけれども、本件においては、賃借人であつた訴外アーバネットが賃貸人の訴外日本都市から本件全体ビルを買い戻して、その所有権を取得したのであるから、これによつて訴外日本都市と訴外アーバネットとの間の本件全体ビルの賃貸借契約は、その存立の基盤を失い、混同によつて消滅することは明らかであり、したがつて、その後における法律関係は、結局、本件全体ビルの持分が所有者たる賃貸人であつた訴外アーバネットから持分権者らに売り渡され、さらに、持分権者らがこれを被告に信託譲渡した場合における原告に対する賃貸人の地位の承継ないし異動の有無として考えれば足りるところである。
そして、賃貸人が賃貸借の目的たる建物を第三者に売買するなどして譲渡したとき、右賃貸人と引渡しを受けた賃借人との間の賃貸借関係における貸主たる地位は、そのまま右第三取得者に当然に承継されるものであり、右第三取得者は、保証金が預託されていたことを知つていたかどうかなどにかかわらず、契約条件に従つてこれを賃借人に返還すべき義務を負うのであつて、この場合において、賃貸人と第三取得者とが第三取得者において賃貸人たる地位を承継しない旨の合意をしても、それだけでは賃借人に対して効力を生じる余地はないものというべきである。
このことは、建物の売買その他の譲渡が先にみたようないわゆる「不動産小口化商品」としての取引形態の一環として行われた場合においても、別異に解すべき理由はない。本件においては、被告と訴外芙蓉総合リース株式会社との間及び訴外芙蓉総合リース株式会社と訴外アーバネットとの間において、それぞれ本件全体ビルについての転貸を使用目的とした賃貸借契約が締結されているけれども、これらの賃貸借契約は、先にみたとおり、被告が信託を受けた本件全体ビルについての新たなテナントの募集、管理等を訴外アーバネットに行わせるという目的に出たものであることが明らかであるし、これらの賃貸借契約と既に訴外アーバネットと原告との間において締結されていた本件賃貸借契約とが相俟つて、訴外アーバネットを貸主とする新たな賃貸借契約が成立したものとみる余地もないものと解するのが相当である。そのように解するのでなければ、いつたん所有者との間のものとして成立した賃貸借契約が、原告の意思にかかわりなく、転貸借関係に転化してしまうことになつて、不当に原告の利益を害することになるおそれがあるからである。また、信託法上の信託にあつては、債務自体又は積極財産と消極財産とを含む包括財産を信託の目的とすることはできないけれども、保証金の返還債務等を含む賃貸借関係は、賃貸目的物の所有権と結合した一種の状態債務関係ということができるから、公租公課の負担を伴つた財産権などと同様に、右のような賃貸借関係を伴つた不動産を信託の目的とすることは許されるものと解することができる。
したがつて、本件賃貸借契約における貸主たる地位は、訴外アーバネットが持分権者らに、持分権者らが被告に、それぞれ本件全体ビルを売買し又は信託譲渡したことによつて、持分権者らを経て被告に当然に承継されたものというべきであり、被告は、本件賃貸借契約の定めに従つて、原告に対して、前記保証金三三八三万一〇〇〇円のうち償却費二〇パーセントを控除した残額二七〇六万四八〇〇円及びこれに対する原告が本件賃貸部分を明け渡した日の翌日である平成四年一〇月一日から支払済みに至る商事法定利率年六分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべきである。
第四 結論
以上によれば、原告の本訴請求は理由があるから、これを認容することとして、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、仮執行の宣言については同法一九六条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 村上敬一)
《当事者》
原告 日本人材サービス株式会社
右代表者代表取締役 郡 昭博
右訴訟代理人弁護士 丸山 武 同 中村治嵩
被告 安田信託銀行株式会社
右代表者代表取締役 立川雅美
右訴訟代理人弁護士 工藤舜達